中西学選手お疲れさまでした
2020年2月22日、新日本プロレス所属の中西学選手がプロレスラーとしての現役生活に区切りをつけて引退されました。
27年間のプロレス人生、お疲れさまでした。中西選手の誕生日は1月22日ですから、「22日」を引退する日にしたかったのでしょうか。偶然にも、この記事もここで22件目の投稿でした。そのうえ更に、ワタシの誕生日も22日です。
とは言うものの、ワタシは中西選手のことを知ったのはほんの数年前です。ワタシが小学生のころずっと観ていた金曜夜8時のワールドプロレスリングも、1990年より前に観ることを止めてしまったので。
中西学選手 お疲れさまでした |
ワタシがずっとプロレスから遠ざかっているうちに
中西選手のプロレスデビューは1992年10月だそうですので、プロレスを見なくなっていたワタシはその存在も知らずにいました。
中西選手のデビュー以前に登場した「闘魂三銃士」と呼ばれるユニットにも、ワタシは興味を持てませんでしたから。
うろ覚えですが、確かその頃のプロレス界は団体の分裂が激しかったと思います。分裂・分裂・また分裂・・・団体が次々と分裂していることも、週刊誌の見出しなどで知ったくらい。
電流爆破デスマッチとか、無理やり内容を過激にすることで客を呼ぼうとしている人もいて、ワタシは益々プロレスに興味を持てなくなっていきました。
テレ朝動画「中西ランド」が縁でした
プロレスを観なくなって30年近く経ち、ふと、ワタシが昔大好きだったプロレスラー「ダイナマイト・キッド」選手の試合が無性に見たくなりYouTubeで検索したところ、右側に表示されたおススメ動画の中に、テレビ朝日のテレ朝動画「中西ランド」を見つけました。
何となく移動してみると、プロレスラー中西学選手がMCのバラエティ企画だったのです。プロレスの試合とはあまり関係のない内容ですが、つい面白くて最初の回からすべて観ました。
「中西ランド」という企画がスタートしたのはプロレスの認知度を高める以外に、試合中に首を負傷し「中心性脊髄損傷」と診断されて長期欠場していた中西選手を、バックアップする目的もあったのだろうと思います。
プロレスラーとして試合に出られない間、収入が途絶えてしまうわけですから。
「中西ランド」を観たことで、中西選手の普段の人柄がよく分かりました。とりあえず何でも一生懸命やってみる、そして、ウソがつけない正直な性格なのだなと感じました。
正直さが好きでした
中西選手は明らかに不器用ではあるけれど、正直であるというのは人として大きな価値のあることです。特にワタシは「ウソをつく人」が何より嫌いなので。
だから、ウソをつこうとしても直ぐにバレてしまうような中西選手が「人」として大好きでした。
近年は試合への出場機会も減っていたようで、引退する日も遠くないだろうとワタシも思っていましたが、やはり寂しいものですね。
ただ「新日本プロレスは世界最高峰のプロレス団体」と謳っている以上、そこへマスターズの試合を組み込むことには賛成できないというのもワタシの本音です。
中西選手の引退後、バラエティタレントとしてでも良いですけど、あくまでもプロレスをもっと世間に伝える発信者として活動してもらいたいですね。このままプロレス界から居なくなるだけというのはもったいない人柄です。
中西選手のことを知ってわずか5年ほどのワタシからですが、27年間、本当にお疲れさまでした。