格差社会の途中経過
今回はいたってまじめな記事です。とてもふざけて書ける内容ではありませんから。テーマは格差社会について。
格差社会の途中経過 |
「自分さえよければ」は何から生まれたのか?
新型コロナウイルスの脅威に怯えて多くの人々が医療用マスクを買い占め、トイレットペーパーも供給が止まるという噂を信じて買いだめに走っているんですね。
中には大量に購入したマスクに、異常な価格を付けて転売している人も。端から見れば非常識な行為です。ではそうした行動に走る人たちとは一体どんな人なのでしょうか?
日本を代表するアルピニストの野口健氏がツイッターで苦言を呈したそうです。東日本大震災発生時の避難所での光景を引き合いに出し「『自分さえよければ』という気持ちを片隅に置けないものだろうか」と。
現代の日本人はその「自分さえよければ」という気持ちを片隅に「置けなくなってしまった」のでしょう。それはなぜでしょうか?
人という生き物は、自分が誰かから大事にされることに、とても大きな安心感や幸福感を感じるものです。その結果、自分も誰かを大事にしようという優しさが、自然と心の中に芽生えます。
現代の日本社会、人を大事にしていると言えるでしょうか?格差社会を受け入れて、弱者を切り捨てることは「しょうがないこと」でしょうか?
そうやって社会から切り捨てられ見放された人たちが、社会の決められたルールを守ることを優先するでしょうか?いいえ、彼らなりに生き抜く手段を見つけ、自分たちのために実行するでしょう。
格差社会を「しょうがないこと」として受け入れたのは、それがグローバルスタンダードだからですか?弱者をいちいち救済してあげるなんて甘いことを言っていたら、世界相手の競争に勝てない?
では日本に格差社会の導入を強要した大国の犯罪率は?とても低いでしょうか?いいえ、ほんのわずかな金銭を奪うために簡単に銃で人を殺す、そういう事件が日常的に起きています。彼らはよその星からやってきたエイリアンなどではなく、私たちと同じ人間です。
格差を強めることによって、富める者は益々富を得る。都合よくその部分だけを享受することは出来ないのです。地上に存在する富の量は一定なのですから、反比例として、貧しい者は益々貧しくなってしまうのです。
社会から切り捨てられた人たちが、わずかな金を手に入れる為に人を傷つけ、自分のことしか考えなくなる。そういう身勝手な人が増える現象も、格差社会を受け入れた日本社会に現れます。
「東日本大震災の頃は現在ほどではなかった」
東日本大震災の頃は人々が助け合いの精神を発揮し、世界から称賛されていたようです。ではこの短期間で日本人のモラルは一気に低下したのでしょうか?震災の被害が東京都のような大都会に及んでいたら?世界中が心配した略奪行為は、都会では間違いなく起きていたでしょう。
都会では地方とは比べ物にならないほど、隣人との格差を目の当たりにする頻度が高いのですから。その格差社会を日本に輸入したのは、時の日本政府でしたね。
安倍総理の独断で、学校を一斉に休校するようにと各自治体に要請されました。共働き世帯は子供をどこへ預ければよい、そこまで深く考えて発言する人でないことが、はっきりしただけでした。衝動的に思い付いたのでしょうね。
無理もないことです。家政婦が100人位いて当然のご家庭でお育ちになられたお坊ちゃまに、庶民感覚などあるわけがないのですから。格差社会の頂点にいる方にとって格差とは、「しょうがないこと」でしかないのでしょう。
ただし忘れないでください。あの方たちは国民に選ばれてそこにいるのです。
ただし忘れないでください。あの方たちは国民に選ばれてそこにいるのです。
「昔はよかった」
そうですね。一億総中流社会で、誰もが一生懸命働きさえすればそこそこの贅沢も出来たでしょうし、マイホームを建てるという夢も叶えることが出来て。少なくとも貧しさに苦しむ家庭は少数だったのでしょう。
経済成長が頭打ちになり、さらなる成長を求めて経済格差をどんどん広げていきました。「勝ち組」「負け組」という区別が始まり、働く人がいつしか「人材」と呼ばれるようにもなりました。「人間の材料」であり「在庫」です。人を材料扱いする、それは日本が工業化して、脳みそまで機械化された結果でしょうか?
結果だけを重視して、その過程にどんなことが起こりうるかを、何もイメージできない大人が増えました。その背中を自分の子供に見せれば、子供は親のすることが正しいと思い込み、マネをするでしょう。益々悪くなる一方ですね。
「トイレットペーパーやマスクを転売する行為は犯罪です」という法律さえ作れば平和になるのですか?彼らを晒し者にして刑務所に入れれば、彼らをそこまで追い詰めた原因も消滅しますか?
社会の構造が、弱者の居場所をどんどん狭くしているのに、社会のルールだけはすべての人にきっちり守れという。新型コロナウイルスに感染したことさえも、「自己責任だ。お前が悪い」と責任を押し付ける。
それらの対応の何処にも、もしもそれが自分だったらという想いは感じられない。点しか見ず、全体を見ない。知っていますか?世の中のことはすべて繋がっていることを。明日の自分がもしウイルスに感染しても、主張を変えずに感染者を罵るでしょうか?
私のこの記事は、まるでモラルのない犯罪者を擁護しているみたいですか?では逆に、格差社会は「正義」でしょうか?
現在は途中経過でしかない。これからもっとです。
日本の教育制度がなぜ「詰め込み教育」を止めないかご存知ですか?答えを暗記しただけで優秀と評価する理由は、自分で考えない大人を増やすためです。つくづく日本政府の計画通りの社会になったのかも。自分で考える力を持たない人が現代には増えました。おかげで日本政府は皆さんをコントロールしやすくなったのです。考えない人は、政府に騙されていることにすら気付きません。
マスクやトイレットペーパーを転売した人だけが「自分さえよければ」と考えたのでしょうか?ではデマを信じて買い占めに走った人たちは?転売しなかったならセーフでしょうか?ドラッグストアの店員が品切れである旨を伝えれば、店員を罵倒して悪態をつく。それが現代日本人の本性だったんですね。
東日本大震災発生当時、日本人はルールを守る国民として世界に報じられていましたが、本当のところ、他人を一切信じていないだけじゃないんですか?原発事故では福島県出身者をばい菌扱いし、今回はウイルス感染者をばい菌と呼ぶ。
次はあなたの番かも
格差社会が未来への「投資」だというなら、犯罪の増加という「配当」は格差社会を支持した方がお受け取りください。格差の広がりを支持した方には「配当」を受け取る義務があるでしょう。
コロナウイルスなんかよりも、ワタシは格差社会を「しょうがないこと」として受け入れている人間の方が、よっぽど恐ろしいです。