どうなる東京五輪 - 開催?延期?中止?
運動会の雨天中止とは違うのです
あくまでもワタシ個人の意見ですが、2020年に予定通りオリンピック・パラリンピック東京大会を開催することには反対です。ただし、中止は望みません。
日本政府も東京都も、予定通りに開催することを念頭に置いて準備を進めていく模様です。経済的な損失を一番に考えれば、学校の運動会を雨天中止とするようにはいかないのでしょうね。
今やる意味があるのだろうか?
もちろん厳しい練習の末、国の代表選手に選出されたアスリートの皆さんにとっても、スケジュール通りにオリンピックが開催されることが最も望ましいと思います。
では、現在世界中の関心ごとは何でしょうか?
- 自分もいつか新型コロナウイルスに感染しないだろうか?
- すでに感染被害に遭ってしまった家族は大丈夫だろうか?
- この感染騒ぎのせいで経済活動が停止して、勤め先の会社が倒産しないだろうか?
- 自分の雇用は守られるだろうか・・・?
これらの現象が起きているのは、日本国内だけではないのです。多くの人類にとって、明日の生活がどうなるのかという大問題のはずです。その彼らの意識の中に、オリンピック競技でのメダル争いへの関心が、一体どのくらいあるでしょうか?
少なくともワタシは既に、今年のオリンピック開催にこだわる方々の姿勢に対してシラケ切っています。
- 「たかがウイルスくらいで中止なんて甘い」
- 「オリンピックに出たければ熱が50度あっても弱音を吐くな」
そのくらいの強い気持ちを持って、選手たちはオリンピックを目指しているのだという関係者の主張は理解できます。でも、このようにシラケ切った状況で競技に参加する選手たちは、果たして幸せなのでしょうか?あるいは無観客での開催に、4年分の苦労をぶつけることに意味があるのでしょうか?
たかがオリンピックと言わないで
ひょっとしたら、2020年を最後に現役を引退する覚悟で臨んでいた選手もいるかも知れません。引退しないまでも、1年後に今と同じ能力を発揮できる保証は誰にも無いわけです。オリンピック出場は一生に一度、それくらいの覚悟の方もいるでしょう。
では、そうして掴んだ栄光の悦びを、誰とも分かち合うこともなく祝福も控えめに、淡々と大会競技を終えれば満足なのでしょうか?
オリンピックを目指したことも無い人が、4年以上もの間、努力を重ねてきた選手やコーチ陣を尻目に「たかがオリンピック」などと発言するのはモラルに反します。
オリンピックの開催には巨額のお金が動くとも言われていますから、そもそも競技を見るだけの人たちとはオリンピック開催の意義が全く違うわけですよね。選手たちにとっても、オリンピック出場は「仕事」なのです。
ですから、ワタシはオリンピック東京大会の開催中止ではなく「延期」を希望します。
日本をリスペクトに値する国とするために
現在までに、大勢の方の命が新型ウイルスによって奪われました。経済活動も世界的にストップしてしまい、生活が行き詰まりを見せる家庭も決して少なくありません。「仕事」を奪われているのは、五輪に出場予定のアスリートたちだけではないのです。
前年に開催されたラグビーW杯で、日本人は世界から絶賛されました。日本を訪れた外国人たちの中には、日本の一番の魅力を「人である」と答えてくれた方が多数いたそうですよ。
ですからどうか、本気で東京五輪を成功させたいのであれば、本気で「アスリートファースト」を実現してほしいのです。ただのお祭り騒ぎとなりつつあるオリンピック大会に、もう一度「平和の祭典」という意義を見出すことにもつながるでしょう。
今回の対応次第で、日本が本当に世界からリスペクトされるに値する国かどうかが、はっきりすると思いませんか?